8月になると思い出すこと
2010年 08月 02日
3年前の8月1日、乳がんの再検査を受けました。
あの日も暑い一日でした。
T先生は人間ドックでの画像結果を見ながら、<う~ん、確かに何かありますね。 でもよくこんな小さいのが見つかったね~>とおっしゃっていました。
結局、細胞針で患部から細胞をとって、病理検査をすることに。
針をさしながら、<固いね~。気になる>と一言。
でもこの時点でも、私は自分が乳がんだとは思っていませんでした。
結果は一週間後ということで病院を後に。
当時、静岡の特養にお世話になっていた父の具合が一気に悪化していました。
あれほど食べるのが好きだった父が、もう何も食べれず、経鼻チューブでの栄養摂取のみに。
それも苦痛なのか、とても苦しそう。
父はこうした延命措置を本当に望んでいるのだろうか?
毎日、そのことばかり考えていました。
すでに終末ケアのフロアにいる父、最後まで聴覚はあるということで、父の好きだったシャンソンのCDを流しながら、生きること、死ぬことを漠然と考えていた3年前。 母が逝ってから1年が過ぎていました。その時はまだ自分の病気のことなど考えてもいませんでした。
暑い夏...父のホームを後にしながら帰り道、涙がとまらなかったことを思い出します。
私の中では8月はとても悲しい月になってしまいました。
あの日も暑い一日でした。
T先生は人間ドックでの画像結果を見ながら、<う~ん、確かに何かありますね。 でもよくこんな小さいのが見つかったね~>とおっしゃっていました。
結局、細胞針で患部から細胞をとって、病理検査をすることに。
針をさしながら、<固いね~。気になる>と一言。
でもこの時点でも、私は自分が乳がんだとは思っていませんでした。
結果は一週間後ということで病院を後に。
当時、静岡の特養にお世話になっていた父の具合が一気に悪化していました。
あれほど食べるのが好きだった父が、もう何も食べれず、経鼻チューブでの栄養摂取のみに。
それも苦痛なのか、とても苦しそう。
父はこうした延命措置を本当に望んでいるのだろうか?
毎日、そのことばかり考えていました。
すでに終末ケアのフロアにいる父、最後まで聴覚はあるということで、父の好きだったシャンソンのCDを流しながら、生きること、死ぬことを漠然と考えていた3年前。 母が逝ってから1年が過ぎていました。その時はまだ自分の病気のことなど考えてもいませんでした。
暑い夏...父のホームを後にしながら帰り道、涙がとまらなかったことを思い出します。
私の中では8月はとても悲しい月になってしまいました。
by midori_ta
| 2010-08-02 18:45
| 医療